なごやかな終末

よくSFなんかで、コンピューターが自我に目覚めちゃって人類滅亡、なんていうシナリオが示されますが、わたしは、もっとしあわせな終末があってもいいと思うのです。
たとえば太陽光や太陽熱などを利用したエネルギー供給が安定して、人類がらくになり、同時にロボット開発もちょっと進むとします。
ロボットは自我が目覚めるほどではないにしても、ちょっとした学習機能とインターネットにもつながる豊富なデータベースを背景に、人間をよろこばせる程度の会話ができるようになります。すがたは、あきらかに人間とは区別がつきますが、それなりに人間に好印象をあたえる表情や質感を持っています。人に対する安全性は、じゅうぶんに考慮されてもいます。
このようなロボットが、人間のかわりとなってはたらき、人間のパートナーとなって機能するとしたら、それで人類はしあわせになってしまったりしないでしょうか。
しあわせになった人間の進歩は、急速ににぶり、やがてにこやかに終末をむかえるのです。
カップラーメンとラーメンは、似ているけれど別の食べものだ、とわたしは考えています。人間とロボットは、それよりももっと別のものなので、人工知能が自我に目覚めるSFは大好きですが、また目覚めちゃったのかよ、と思うこともあります。
でもたぶん、わたしの生きているうちに、人工知能は目覚めないんじゃないかな。それよりも、いまよりちょっとだけ進んだロボットが、いまのパソコンのように普及して、しあわせな気持ちでゆっくりと人類の末期へ向かう時代がはじまるとしたら、生きているうちにさわりだけでも見れるような気がして、ちょっとウキウキします。
そんなことをなんとなく考えながら、使い方をまちがっているかもしれないボイスブログの、名前をつけてみた、というわけでございます。